ドガ・ダンス・デッサン

ことばにする練習帳 @hase_3sec

「この物語はフィクションです。」

待てができない子供だった。こういった書き出しの小説かエッセイかブログ記事を読んだことがある気がする。書き始める前にインターネットで検索してみたけれどそれらしいものは見つからなかった。なんだか気になるので知っている人がいたら教えて欲しい。昔から待てができない子供だった。今は大人である。今も待てはできない。我輩は猫ではない。試験の結果発表やゲームの発売日、片思いしていた相手に会う約束などは楽しみなものでもある一方苦痛でもあった。カレンダーを見るたびにあと何日と数えて、なかなか過ぎない日々にため息を吐く。1日がなかなか終わらないことが憂鬱で、起きているときはお気に入りのゲームばかりしていた。あとは寝ている。昔から眠ってばかりいた。今もそんなに変わらない。待っている間気が狂いそうなほど落ち着かなくて、そのことばかり夢に見て、起きて夢だったことにまた落ち込む。何も手がつかなくて、だからと言って自分を叱責することなく、気になってしょうがないんだからしょうがないよねと甘やかしてばかりいた。そうして今のこのザマである。ハハッざまあみろ。会社勤めを始めてからは眠ってばかりいられなくて平日5日間働く。つまらないことから大変なことまで大小様々な何かしらの仕事を処理して、気は紛れるけどそれでもやっぱり落ち着かない。1日1日とても長く感じる、仕事はあっという間に終わるわけでもないしむしろ就業している時間までゴリゴリに引き伸ばされている体感。早く帰れた日や土日にはやることもやりたいこともやらなきゃいけないこともなんだってあるはずなのにネットサーフィンして布団でダラダラして、少し本を捲っては眠ってみたり、あとはひたすら飲酒して喫煙してコンビニで買ってきたお弁当を食べて、早く寝ればいいのにネットサーフィンがやめられなくて夜更かしする。休みの前日に遅くまで起きていると当然次の日は遅くまで寝ることになって、それで半日が潰れるとその日まで0.5日分進んだと考える。バカでしょう。バカすぎる。生活リズムはガタガタだし栄養バランスは壊滅的で、こんな生活してたら早死にするよなと考えるけれど寿命を燃やすように生きていれば相対的に生きている間の待つ時間が短くなるのでは?なんて思いついて馬鹿さ加減に反吐が出た。この物語はフィクションです。

 

「この物語はフィクションです。」という言葉が好きだ。そう書いてくれているだけで安心感がある。知人がツイッターのプロフィールに「この物語はフィクションです。」と書いていて、あ、いいなと思った。その一言だけで、現実がうやむやになる。本当のことが10割書かれていようが、一切書かれていなかろうが、「この物語はフィクションです。」以前街で見かけたとある光景をツイートしたら、バズってまとめサイトにまとめられた。コメント欄に「嘘松」と書かれているのを見かけて速攻で記事削除申し立てをしようとしたらどこにも問い合わせフォームがなかった。嘘だと思うなら嘘でもいいんですけど嘘ついてないし嘘みたいな出来事って目を凝らせば実はたくさんある。最初から「この物語はフィクションです。」と書いておけばよかったと思った。というかそもそも喫茶店で隣の人たちが喋る詐欺じみた会話や電車の中で行われる非日常的な行為というのはどこまで文章にしていいんだろう。面白いからといって盗撮してはいけないと同じように面白いからといって文章にしてはいけないんじゃないかなと考え始めて壁にぶち当たった。

 

この間人に誘ってもらって同人誌に寄稿した。エッセイを書いた。秒速5センチメートルと自分語りというテーマだった。まさか同人誌に原稿を載せてもらうなんてことあるなんて思ってなくて、しかも直接の知り合いではなかったし、誘われたときは驚いて飛び跳ねてしまう。もう会えない人との思い出は一生汚れず輝いてるしなんならもう会えないというだけでなによりも美しくなってしまうというようなことを書いたりした。実はその中で一つだけ書いていないことがあって、それはものすごく些細だけど読む際に文章の意味が少し変わってしまうような内容だった。でも書いていなくても書きたかったことに対する熱量や思いに嘘はないからあえて省略した。ごく数人の友達やフォロワーの人が読んでとてもよかったと伝えてくれて、お世辞かもしれないけれどものすごく嬉しかった。書かないことは嘘になるのかな。見えないものは存在しないのかな。書かれていることだけが本当ではないし、見えているものだってまやかしかもしれない。結局全部フィクションなんだよって言ったら、それはフィクションになる?

 

思うことがあって日記を書く事にした。日記を書くことはいいことだっててんちむYOUTUBEで言ってた。最近YOUTUBERの動画を見ることにハマりつつあるらしい。圧倒的消費活動。今日も私はある日を待ちながらコンビニ弁当を食べて飲酒して喫煙してネットサーフィンしてダラダラ夜更かしして持て余した時間を消費する。この物語はフィクションです。