ドガ・ダンス・デッサン

ことばにする練習帳 @hase_3sec

“Though lovers be lost love shall not”

 

タルコフスキーの『惑星ソラリス』を借りたと思ったらソダーバーグのリメイク版であった。こういうところがバイト先の先輩(趣味風俗・18歳)に「注意力足りてないですね」って笑われるわたし(趣味昼寝・21歳)に成り果ててしまう要因なんだろうなと納得する。威厳が足りない。わたしは『ソラリス』を結構気に入ったのだけれど、調べてみると賛否両論むしろ否7割・その7割の声がとてもデカいといった感じでおろおろする。映画好きからしたらなにもわかっていないと思われてしまうのかな~。なんでもいい。

 

交互に明滅する現実と過去の後ろで流れるさびしさを孕む電子音。ポラ。ポラ。ポラ。文字にできない。「私をもう愛していないの?」と聞くレイアと「あなたは私を愛してくれた」というレイアはどちらが本物のレイアなのか考えれば考えるほど。ウーンわからないよ。ジバリアンは本当にケルヴィンに助けに来てほしかった?惑星・ソラリスに。ソラリスがなんなのか、何故複製が行われるのか、観察して何をするのか、ほとんど説明されないけど、語りつくされてしまうより、というかもはやそういう次元ではなかった。イライラしながらケルヴィンに意識を投影してテーマについて考えがちだったけれど、ふと自分が逆にソラリスによる複製の場合もありえるんだなと気付く。もし自分が複製だったらどうするのだろう、レイアの複製のように死を選ぶのか、スノーの複製のように意識の元を殺すのか。わたしは幼いころ離人症の気が強くて、たまに自分の体と意識が噛み合わなくなって手の動かし方もわかるし声も上手に出せるのにまるで操作性の悪いポンコツロボに乗っているような気分を味わったことが何度もあるけれど、複製レイアのいった感覚はこういう気分に似ているのかな、もしそうだとしたらわたしもソラリスによる複製の可能性があるのかもしれないなんて考える。なんてな~。ゴードンの複製が結局なにであったか明かされず、姿も出てこなかったけれど(たぶん)、もしかしてゴードンの複製もスノーの複製のようにゴードンを殺して入れ替わってしまっていたのかもしれないなんて火サスもびっくりな安直な発想をする。とかとか。とにかくレイアが美しかった。美しい人が何度も死を繰り返す、なにかのフェチに目覚めそうだ。痙攣しながら蘇る美女、ヨイ。けれど、複製のレイアを愛するという結末は受け入れがたかったし、わたしはケルヴィンには死んだ妻である記憶の中のレイアを選んでほしかったと思ってしまう。「たとえ愛する人亡くとも愛は死なず かくて死はその支配をやめる」という引用と、制作陣インタビューの「これはラブストーリーよ」という言葉がこの映画のすべてなんだろうな。「これはラブストーリーよ」なんて聞いたときは素っ頓狂な声をあげてタイムバーを戻しまくってしまったけれど、元来シチューエション萌族セカイ系過激派なわたしとしては三周回って逆に腑に落ちる。

 

それっぽくつらっと感想を書いてしまったけれど、実は文章に言い表せないほど『ソラリス』のことが好きだ。というか、どんな言葉にすればいいのか正直よくわかっていないままタイプを強打している深夜27時。言いたいことはたくさんある様な気がするのに読み込みが足りなくて語りつくせない。いつだってそんな人生。amazonのカートに新旧ソラリスをいれてみる。『惑星ソラリス』に対する期待が大きくなる半面・観るのが怖くなる、観ることによって『ソラリス』を駄作だと言ってしまうようなことにならないことをただただアーメン。