ドガ・ダンス・デッサン

ことばにする練習帳 @hase_3sec

“Hello, my name is John Merrick”

 

117日前に三日坊主にならないようにがんばると言ったわたしは時のはざまに流されていました。『エレファント・マン』を観て、思うところがあったので久しぶりに記事を書こうとする。進学するつもりが就活することになったので、これからは積極的に本を読んだ感想や映画を観た印象など記録に残していきたいと思う。まとめるのも下手だし月並みなことしか言えないけれど、ただの社会人になった私の言葉はどんどん周りに溶けて薄れていくだろうから。その前に社会人になれるのかしらと思ってしまうようでは就活に負けてしまうのだ。

 

デヴィッド・リンチエレファント・マン』、これを知ったのは以前も名前を出した大瑛ユキオの『ケンガイ』という漫画から。『ケンガイ』から受けた影響は結構大きくてなにを隠そうこの漫画を読んでレンタルショップでバイトすることを決めたのである。ツ○ヤじゃないけど。『ケンガイ』は『エレファント・マン』が作品の核にあって、『ケンガイ』にいたく感銘を受けて以来ずっと観たいな~と思っていたのになんとなくバイト先で映画を借りるのをめんどくさがっていたら今になった。でも社割使わないのもったいないな~と返却しながら棚を観ていたら目に入ったので、天啓。

 

前置きが長いとナルシストみたいだな~。閑話休題。この言葉を使ってみたかったから。

バイツの見世物小屋で姿を見せたメリックは本当に恐ろしかった、けれどそれ以上にメリックの姿を見て涙を流すトリーブス氏がとても美しい。この映画はとにかくよく人が静かにはらはらと涙を流して、その度アップで抜かれていた印象がする。誰かが涙を流すたびに私はその涙の美しさに息がとまる。息といえば始まって30分くらいは観ていてずっと息が苦しくて、なんでかっていうと観てるとわかるんだけど人外みたいなメリックの呼吸音がヒーヒー響いて画面の外にも圧迫感が伝わってくるんだよね。心臓がみんみんと痛かった。けれどはじめて病室でメリックの姿が映された時、見世物小屋とは打って変わって優しい目をした彼を見てあれって思う。メリックが「頭が弱くてよかった」と言われる度なんて残酷な言葉なんだろうと感じていたけれど、メリックが意思疎通をできることを知りその残酷さが一層増す。“Hello, my name is John Merrick”、“Hello, my name is John Merrick”、“Hello, my name is John Merrick”……。「彼の人生は誰にも想像できないと思う」という言葉の深度。メリックが病院でも見世物になってしまうのは、「もし母を見つけることができ、僕が素敵な友達といるところを見たらこんな僕でも愛してくれるかも」とメリックが言ったことをトリーブス氏が気に留めていたからなのか、そうでないのか、私には判断しきれなかった。とにかくメリックが再び辛い目に遭わないように、遭わないように、そう祈りながら観ているのに、世の中には悪意が満ち溢れていて、メリックは再びバイツの見世物小屋にとらわれる。『アルジャーノンに花束を』に似ていると思ったけれど、こっちの方が悪意にまみれている。それもただの悪意じゃなくて、純粋で無邪気な悪意。すごいありふれた言い回しになっちゃったキマリが悪いけれど、それ以外にぴったりする言葉が見つからなかった。ウーン語彙不足。バイツのことを結局不器用な人間だったという言葉で片付けていいのだろうか。終盤ずっと見られる側だったメリックが演劇を鑑賞して初めて見る側に回るけれど、ケンドール婦人に紹介されてメリック氏に拍手をした人々はきっといつかどこかで見世物小屋を見ていた人たちになる/なっていたんだろうなと思うとやるせなくなる。トリーブス氏がしつこくおやすみと告げる時、壁の端にかけられた眠る子供の絵が映る。これで終わりなんだなって予感。

 

今はまだもう一度観たいと思えないけれど、間違いなく生きているうちに観ることができてよかった映画だと思う。「俺たちみたいなのには“運”がいるんだ」そうして私は明日の朝に速達で出さなければならないエントリーシートにようやく手をつけるのだ。

 

 27:12追記

この記事を書くのに引っ張り出した『ケンガイ』を読み返すと、『エレファント・マン』についてヒロインが「仲間がいるって思って。あの主人公と自分が同じとかいうのはおこがましいけど。気持ちはわかるよ。」って言ってて、記事に何回も書こうか書かまいか悩んで結局消した文章も人の言葉を借りれば書けるんだって知る。エントリーシートはまだ白紙。